三国志2 武将データ 淳于瓊

三国志2 武将データ 淳于瓊

淳于瓊(じゅんうけい)


ぶりょく【武力】76 ちりょく【知力】65 みりょく【魅力】68

 

三国志5での淳于瓊

武力【武】72 知力【知】58 魅力【魅】69 政治【政】45

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三国志5では魅力が1多いです。

 

その他は下がっています。

 

三国志演技での淳于瓊の最後はひどい内容だが、正史では有能な武将だったが主君の袁紹が話を聞き入れず、烏巣を守る淳于瓊は曹操の部将楽進に斬られる。 

 

淳于瓊は西園八校尉の一人だった。

西園八校尉とは

中国の後漢末期、188年に置かれた官職の総称。また西園三軍という。

 

中平5年(188年)、黄巾の乱以後の混乱が続く中、望気者(雲気を見て吉兆を占う人)が、都で戦が起こり両宮で血が流れると予言した。

 

これを聞いた大将軍司馬の許諒と、仮司馬の伍宕が、大将軍であった何進に「『六韜』には天子が将兵を率いるという記述があり、それに倣って皇帝が将兵を率いて四方を威厭すべきである」と献言する。

 

これが成立の根拠かどうかは、史料によっては正しいとは言えない。

 

上軍校尉 ― 蹇碩(小黄門)

霊帝に寵愛された蹇碩(『三国志演義』では十常侍の一人とされる)

 

中軍校尉 ― 袁紹(虎賁中郎将)

下軍校尉 ― 鮑鴻(屯騎都尉)

典軍校尉 ― 曹操(議郎)

助軍校尉 ― 趙融

佐軍校尉 ― 淳于瓊

 

wikiより

その他にも左右校尉があったとあるが、省く

『山陽公載記』

 

なぜ袁紹についてしまったのか、曹操についていれば、曹仁や楽進並に活躍できたはずです。

関羽がもしも曹操に降っていれば、長生きできたのかもしれない、人材配置が上手いからいけたんじゃないかな

 

だが夏侯淵を定軍山の戦いで失っている。

これは、法正の策にハマったのだからしょうがない。

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定軍山の戦いの状況

 

劉備、張飛、黄忠、法正、黄権    【戦力120000】

 

曹操、夏侯淵、張郃、郭淮、楊修【戦力一説に200000】

 

ドラマ三国志では、法正の活躍があまり見られないが、多分「三国志演義」を採用したのかもしれない、それと話が長くなるため、少し端折ったのかもしれません

 

蒼天航路では定軍山に山々の絵が迫力がありましたね

 

定軍山で10万単位なんだから、中国の戦闘は大戦だったのだろう。

 

事ここに至って、前年より長安に滞在して諸軍を督戦していた魏王曹操は、自ら50万の大軍を率いて漢中奪回を図った。

(『三国志演義』では、曹操の軍勢が40万に対して、劉備の軍勢は10万として、記されている。)

wikiより

 

お互いに被害は大きかったようだ。