三国志5 武将 曹洪

曹洪(そうこう)

三国志5 武将 曹洪曹 洪(そう こう、? - 232年)

初平元年(190年)、曹操が反董卓の義兵を起こすとその挙兵に従い、夏侯惇らと共に武将として仕えた。

 

許都に献帝を迎えると(「武帝紀」)、曹洪は諫義大夫に任命された。

曹操は司空に任命されると、世間に模範を示すため、毎年の納税の時に本籍の県令に自分の資産を調べさせる事にした。

譙県の県令が、曹操の資産が曹洪の資産と同等であるという報告をすると、

曹操は「わしの財産が子廉の財産と同じ筈はない」と言ったという(『魏略』)。

 

曹洪は大の資産家であったが吝嗇であった。

【吝嗇:りんしょく、けち】

【・ひどく物惜しみをすること。また、そのさま。けち。「吝嗇な人」】

 

また、その食客や縁者には奢り昂ぶり不法を働く者も多くいた。

 

曹洪は大宴会を催し、薄着の歌姫に舞楽を行わせた。

しかし楊阜は、大勢の席上で女性の肉体を剥き出しにするのは不道徳だとして、曹洪を責めた。

すると曹洪はすぐにこの舞楽を止めさせた(「楊阜伝」)。

曹操曹洪の財貨と女色を好む性格を熟知しており、前漢の高祖(劉邦)に比して、曹洪とその参謀であった辛毗、さらに曹休に向かって慎重に警告している(「辛毗伝」)。

 

曹操の太子には曹丕がなっていた。

ある時、曹丕曹洪から100匹の絹を借りようとしたが、拒絶されたという(『魏略』)。

 

曹丕は、以前に借財を拒絶された経緯から曹洪を恨んでいたため、曹洪食客が罪を犯した時、曹洪をそれに連座させて死罪に処そうとした。

群臣達は曹洪の赦免を求めたが、救う事ができなかった。

また、曹真もこれを諌めたが果たせなかった(『魏略』)。

結局は卞太后曹丕の生母)の取り成しによってようやく死罪を免れたが、所領と爵位を削られた。

この処置に、曹洪の功績を知る多くの人達は釈然としない思いであったという。

太后の計らいで曹洪は死罪を免れた事を喜び、謙った内容の上書をして陳謝したという(『魏略』)。

結局、財産は全部没収され、庶民に落とされた。

 

黄初7年(226年)、曹丕崩御曹叡(明帝)が即位すると、曹洪は後将軍に任命され、改めて楽城侯に封じられ、1000戸の領邑を与えられた。

特進を加えられ、再び驃騎将軍に任命された。

 

太和6年(232年)死去。享年は不明である。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 曹洪【火計・火矢・奮迅・無双・遠矢・応射】

陣形

【錐行の陣】

平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。

強化騎兵 【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

強化騎兵 【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

 

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【雁行の陣】(がんこうのじん)

平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 曹洪武力【武】79 知力【知】45 魅力【魅】71 政治【政】63

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値33000・勇名6010