三国志5 武将 黄蓋

黄蓋(こうがい)

三国志5 武将 黄蓋

黄 蓋(こう がい、? - 建安19年(215年)

孫堅孫策孫権に仕えた宿将である。子は黄柄。

『呉書』によると、祖先が南陽太守の黄子廉という人物で、その子孫は各地に散らばった。黄蓋の一族は祖父の時代に零陵へ移住してきたという。

若い頃に父が亡くなり、貧しい生活をしていたが、常に大志を抱き、上表文の書き方や兵法の勉強に勤しんでいた。

 

建安12年(208年)、曹操が江南に進軍を開始し赤壁の戦いが始まると、黄蓋周瑜の指揮下で従軍した。

曹操軍の艦船を焼き討ちすることを進言し、偽りの投降を用いた火攻めで曹操軍を攻め立て、曹操軍の艦船と岸辺の軍営を焼き払った。

赤壁において、黄蓋は流れ矢に当たって長江に落ちてしまい、救い上げられたものの、黄蓋とわからなかったために、負傷したまま厠に放置されてしまった。

しかし、同僚の韓当が見つけ手当てさせたため、九死に一生を得たという(「周瑜伝」、「黄蓋伝注引呉書」)。この功績で、武鋒中郎将に任命された。

武陵蛮が反乱を起こすと、反乱を鎮めると、これまで益州に服していた巴・醴・由・誕の部族も誼を通じてくるようになった。

 

黄蓋は病に伏せりそのまま病没した。

没年は不明だが、死後その配下の軍勢は、同時期に亡くなった孫瑜の軍と共に、孫皎が指揮をしたとあるため(「宗室伝」)、孫瑜が亡くなった215年の時点では、黄蓋は既に死去していたことが確認できる。

 

小説『三国志演義』では「鉄鞭」を愛用武器とする武将として、程普・韓当・祖茂と共に孫堅軍の猛将の一人として登場。

 

赤壁の戦いにおいては、自らを傷つけることで敵を偽って信用させ、起死回生の策を行なったこの黄蓋の行為が、苦肉の策の語源となった。

黄蓋は闞沢や甘寧と共に準備を整え、合戦が始まると投降を装って曹操軍に近づき、自軍の軍船に積んだ薪や油に火を放って、曹操軍の船団に突入させている。龐統の連環の計によって船同士を鎖で繋いでいた曹操軍は、忽ち炎に包まれ大打撃を被ることとなるのである。

その際、逃亡する曹操を見つけ追撃するものの、曹操軍の張遼から矢を受け負傷し、撤退している。

最後は落水し韓当に救われている。

Wiki より

余談・三國無双2か三國無双あたりで、金箍棒片手に爆弾投げてましたね

確か三國無双2の裏技が【三国戦記】版・呂布が使えて、戦記版・呂布がまたカッコ良かった思い出があります。

覚える特殊能力

三国志5 武将 黄蓋【水計・火矢・奮迅・遠矢・陣立・水神】

陣形

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【雁行の陣】(がんこうのじん)

平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

【水陣】(すいじん)

水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。

新兵器『楼船』を開発・【無】

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2

新兵器『楼船』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 黄蓋

武力【武】88 知力【知】67 魅力【魅】80 政治【政】75

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値46000・勇名7590