三国志5 武将 陸遜

陸遜(りくそん)

三国志5 武将 陸遜陸 遜(りく そん、183年 - 245年3月19日)

子に陸延・陸抗。孫に陸機・陸雲など。

 

建安8年(203年)、21歳のとき、孫策の弟の孫権が幕府を開いた時に初めて仕えた。

なお、陸績は孫策の代ですでに仕えた。

最初に、文官として仕事に就いた。

孫権の幕府の東曹と西曹の令史(秘書官)を務めた後、海昌県(後の塩官県)の屯田都尉となり、海昌の統治も同時に行った。

旱魃となったため民は困窮したが、陸遜は施しを行って民の窮地を救う一方で、農業と養桑を推奨し、民の生活を支えた。

号は「神君」

 

荊州を攻略する。

建安24年(219年)、荊州方面で劉備の将軍である関羽と対峙していた呂蒙が病気になり、建業に戻ることになったとき、その帰路の途中で呂蒙と対談を申し入れ、関羽を打倒し荊州を手に入れる謀を練ることを勧めた。

 

夷陵の戦いでは関羽の弔い合戦でキレた劉備が攻めるも陸遜の火攻めにあい劉備軍を撃退する。

 

黄武元年(222年)、蜀(蜀漢)を興し自ら皇帝となった劉備関羽の復讐と荊州の奪還のために呉との国境地帯に侵攻してきた。

陸遜孫権により大都督に任じられ、朱然潘璋・宋謙・韓当・徐盛・鮮于丹・孫桓ら5万の軍の指揮を執って劉備軍と対峙した。

 

後継者問題が紛糾し、孫和廃立の声が強くなると、陸遜は上奏して嫡子と庶子の区別をつけるように述べた。

さらに首都の建業に出向いて孫権を直接説得しようとした。

しかしそれは許されなかった。

また、陸遜の甥である顧譚・顧承・姚信は太子側についたということから流罪となった。また太子太傅の吾粲は陸遜に幾度も手紙を送っていたため獄に下されて死んだ。

孫権陸遜に譴責の書状を何度も送り、憤慨の中で陸遜は死去した(二宮の変)。

(最後はキレつつ亡くなるという後味の悪い結果。)

享年63。

その後、孫権陸抗の手をとって涙を流して謝罪し、陸遜に対する謝罪の言葉を述べた上で、自分の送った手紙はすべて焼き捨ててくれるよう嘆願した。wikiより

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覚える特殊能力

三国志5 武将 陸遜【水計・火矢・沈着・水神・反計・応射】

陣形

【錐行の陣】

平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。 

強化騎兵 【無】 

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2 

強化騎兵 【有】 

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

 

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。 

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【長蛇の陣】(ちょうだ)

山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。 

新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2 

新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2

 

【水陣】(すいじん)

水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。

新兵器『楼船』を開発・【無】

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2 

新兵器『楼船』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 陸遜武力【武】79 知力【知】97 魅力【魅】94 政治【政】87

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値35000・勇名6130

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