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三国志5 武将 張布

張布(ちょうふ)

三国志5 武将 張布

張 布(ちょう ふ、? - 264年)

武将・政治家。呉に仕えた。弟は張惇・張恂。子は女子二人。『三国志』呉志「三嗣主伝」等に記述がある。

呉の実権を握っていた孫綝は孫亮を廃位し、新たに孫休を帝に迎えた。

張布は長水校尉の地位にあったが、孫休の輔佐に功績があったとして、258年冬10月に輔義将軍へと昇進し、永康侯に封じられた。

やがて孫休は孫綝がクーデターを計画していることを知らされ、張布と共に孫綝打倒の計画を練った。張布は丁奉を計画の協力者として推挙した(「丁奉伝」)。

丁奉の進言で、孫綝が祭りのため参内したときに討つことが決まったため、同年12月、孫休の命令で張布は丁奉と共に兵士に命じて孫綝を捕らえさせ、即日処刑した。張布は孫綝を討ち取った功績で中軍督を加官された。

また、弟の張惇には都亭侯の爵位と兵士300人が与えられ、張恂も校尉に任じられた。

262年冬10月、濮陽興が丞相に任命された。孫休は濮陽興・張布と個人的に親しかったこともあり、彼等に国政を任せ自身は学問に興じるようになっていった。

濮陽興が軍事と行政を取り仕切る一方で、張布は宮中を掌るようになった。

264年、孫休が崩御

孫休が後継ぎを自分の息子にするよう遺言していたが、孫休の遺児が幼少であったので、国難に対処できないと判断した張布は、万彧の薦めに従い濮陽興と図り、朱太后の了承も得た上で烏程侯の孫晧(孫和の子)を擁立した。

これにより驃騎将軍・侍中となった。

しかし孫晧が即位後まもなく驕慢となり、酒と女色に溺れるようになると、濮陽興と共に擁立したことを後悔したという。

そのことを知った万彧の讒言により、同年11月に濮陽興と共に広州へ流罪となった。

移送中に殺害され、残りの一族も皆殺しにされたという。孫晧は張布を特に憎んでおり、後に寵臣の何定を悪事を働いたとして誅殺した時、悪事が張布と似ているという理由で、名を何布と改めさせた。

張布の死後、その次女は後宮に入って美人(妃の地位)となり、孫晧の寵愛を受けた。ある日、張美人は父を殺された恨み言を言ったため、孫晧は彼女を殺害した。その後、孫晧は張美人の美貌を惜しみ、巧工に刻木させて張美人の像を作らせ、常に側に置いた。wikiより 

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覚える特殊能力 

三国志5 武将 張布

【火計・混乱・同討・収拾・鼓舞・消化】

陣形

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2 

 

【衡軛の陣】(こうやく)

山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。 

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【方円の陣】(ほうえんの陣)

平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。 

発石車  【無】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3

 発石車  【有】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3

 

【水陣】(すいじん)

水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。 

新兵器『楼船』を開発・【無】

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2 

新兵器『楼船』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 張布

武力【武】73 知力【知】52 魅力【魅】54 政治【政】40

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値29856・勇名1084