司馬炎(しばえん)
司馬 炎(しば えん)
西晋の初代皇帝。諡号は武帝。 魏から禅譲を受けて晋を建て、さらに呉を滅ぼして、分裂状態が続いていた中国をおよそ100年ぶりに統一した。しかし統一後は政治への興味を失い、後の八王の乱の遠因を作った。
魏の有力者であった司馬昭と王元姫(王粛の娘)との間に長男として生まれた。
若くして「寛恵にして仁厚、沈深にして度量あり」と評され、九品中正制度に基づく郷品を定める際、その出身地の河内郡では比較の対象者がいないというほどの貴公子であった。そのため、祖父司馬懿や伯父司馬師の就いた官職を歴任した。
咸熙元年(264年)に司馬昭が晋王になると、その後継者に指名された。
当初、司馬昭は三男の司馬攸を後継者にと考えていた。
これは司馬攸が司馬師の養子となっていたためであり、司馬昭は兄の方の家が司馬氏の正統と考えたからである。
しかし重臣の反対により、咸熙2年(265年)5月には司馬炎が正式に晋王の世子とされている。
同年8月に司馬昭が没すると、晋王・相国の位を継いだ。
同年12月には、賈充・裴秀・王沈・羊祜・荀勗・石苞・陳騫らと計って、元帝(曹奐)に禅譲を迫って皇帝の位を奪い、新王朝を「晋」と名付け、元号を泰始と改めた。
司馬炎の初期治世は重臣に多く学識と礼教を重んじる名望家を配したことと、西晋成立時に民心を得るために庶民への民爵の賜与を行なっていることが挙げられている。
また後漢や魏の皇族の任官禁止を解除し、曹植の子曹志や諸葛亮の子孫を任用するなど、後漢末期から魏にかけて戦乱で苦しんだ民情や心情などを考慮して皇族間の友愛、礼教に基づく国家構築などを行なおうとしていた。
その後、呉討伐する。
統一後
統一後の司馬炎は朝政への興味を失った。また統一を達成したことにより平時体制に戻すとして、軍隊の縮小も実施された。
司馬炎の業績として特筆すべきは太康元年(280年)から始まった占田・課田法である。司馬炎は女色にふけったことでも知られる。
統一以前の泰始9年(273年)7月には、詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止し、自分の後宮に入れるための女子を5千人選んだ。
さらに呉を滅亡させた後の太康2年(281年)3月には、呉の皇帝であった孫皓の後宮の5千人を自らの後宮に入れた。合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。
この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするのである。
そこで、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいた。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからである。
この塩を盛るという故事が、日本の料理店などで盛り塩をするようになった起源とも言われている。
なお、1万人の女性といっても、后などを世話する女官などの数も入っているため、実際に司馬炎が1万人の女性を相手にしたというわけではない。
太康5年(284年)以降は天災が相次ぎ、日食もしばしば起きて人心は荒廃した。
晩年には政治の実権は皇后楊芷(最初の皇后であった司馬衷の生母楊艶の同族)の実父である楊駿に掌握されて、かつての後漢のように外戚専権の様相が再現される予兆もできた。
こうした中、太熙元年(290年)夏4月、司馬炎は含章殿において56歳で崩御し、その遺体は峻陽陵に葬られた。
司馬炎は父・司馬昭の敷いた路線にしたがって晋王朝を創始した。天下を取るまでは英君だったが、天下を取った後は堕落していく。それが統一後の国家の基盤形成を怠ったことになり、西晋が早く滅亡する要因ともなった。
司馬炎は一時的に中国を統一したが、その死後、西晋は八王の乱で疲弊した。司馬炎の子の中で八王の乱を生き延びたのは懐帝と呉王司馬晏だけであった。西晋は永嘉の乱で孫の愍帝(司馬晏の子)の代で短命のうちに滅亡した。愍帝の死去により、司馬炎の子孫は現在に伝わっていない。祖父・司馬懿の嫡系子孫と父・司馬昭の子孫も断絶することとなった。司馬懿の四男司馬伷の孫、司馬炎の従甥である司馬睿が江南に東晋を建てた。その後も長く群雄割拠の時代は続き、本格的な統一王朝の出現は楊堅による隋の統一以降となる。wikiより
覚える特殊能力
【鼓舞・激励・火矢・速攻・強行・反計】
陣形
【鶴翼の陣】(かくよく)
平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2
【偃月の陣】(えんげつ)
平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。
関連兵器はなし
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2
【鋒矢の陣】(ほうし)
山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。
新兵器『戦車』を開発・【無】
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2
新兵器『戦車』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2
【方円の陣】(ほうえんの陣)
平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。
発石車 【無】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3
発石車 【有】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】85 知力【知】71 魅力【魅】86 政治【政】43
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値34635・勇名3115