三国志5 武将 陳式

陳式(ちんしょく)

三国志5 武将 陳式陳 式(ちん しょく または ちん しき、生没年不詳)

この陳式、『正史』三国志を書いた陳寿の父か祖父か?

陳寿の祖父で巴西陳氏の出自。水軍に長じ、夷陵の戦いで水軍を率い白帝城に生還した。俗に『三国志』の著者陳寿の父と言われているが、『晋書』「陳寿伝」等に斯様な記述はなく本籍地は不詳とされていた。『資治通鑑』では「陳戒」と表記されている。

多分ではあるが祖父だろうと思われる。

『正史』

時期が定かではない、漢中攻め陳式は馬鳴閣道の封鎖のために派遣されたが、徐晃に敗れる。

夷陵の戦いでは劉備に従い、将軍として呉班と共に水軍を率い夷陵に駐屯した。陸遜の火攻で大敗し夥しき被害が出る中で彼の部隊は白帝城への帰還に成功した。

229年に諸葛亮が再び北伐の軍を起こした時、陳式は先鋒の総大将として武都と陰平を攻略し、その功績を上げた。

諸葛亮自身は建威を攻略し、陳式と共に当地付近に駐屯していた郭淮を挟撃しようと試みた。郭淮はいったん出撃したがすぐに退却し、そのまま隴西方面から撤退した。

諸葛亮・陳式とも、これを追撃しなかった。

以降、史書に記述は見当たらない。wikiより

 なんか最後がリアルですね『正史』なんでこんな感じなのでしょう

 

三国志演義

小説『三国志演義』では、漢中攻防戦において黄忠の武将として登場する。

夏侯尚の軍勢と戦い捕虜となるが、黄忠も夏侯尚を捕らえたため、

数日後に双方の人質交換で無事に黄忠の陣営に戻されている。

その後、魏延と共に軍令を無視して魏軍を追撃する。

しかしその結果、大敗して多くの兵を失ったことから、諸葛亮の怒りを買って斬首されることになっている。このように演義』での陳式は凡将扱いされることが多い。

『晋書』「陳寿伝」によると、陳寿の父が馬謖の参軍で、馬謖の死刑に連座して髠刑(剃髪の刑で、宮刑の次に屈辱的とされた)に処された。この陳某は陳式の子とされる。

演義』ではこうした話を元に、陳寿の父としての陳式が諸葛亮に処刑されるエピソードが創作されたのであろう。wikiより

三国志演義での陳式斬首は創作とある。

馬謖まで斬ってるから軍令で蜀将頻繁に斬るのも、現実的ではない気がします。

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覚える特殊能力

三国志5 武将 陳式

【収拾・鼓舞・消火・伏兵・火矢・奮迅】

陣形

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

【方円の陣】(ほうえんの陣)

平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。 

発石車  【無】

 攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3 

発石車  【有】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 陳式

武力【武】67 知力【知】48 魅力【魅】25 政治【政】39

 

 ※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値28937・勇名1357