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三国志5 武将 馬謖

馬謖(ばしょく)

三国志5 武将 馬謖

泣いて馬謖を斬る』で有名ですが

三国志』「蜀書馬良伝」では街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて山に登っちゃう。

三国志

布陣は孔明が前もって『五叉路に陣を敷き決して魏軍を通すな』

と忠告しておいたにも関わらず。

更に孔明は『設営後は、地形の図面を届けよ』とまで言う。

馬謖王平2人で一ヶ月守れば長安を取る第一の功となるという。(高翔も)

 

山に布陣を置く、馬謖が登った南山は一応 Google マップなどで出てくるのですが

詳細は不明です。

馬謖が山に登りたいと言ったとき、王平の忠告で孤山で地方に山脈がないので囲まれたら終わりですよというも孫氏の兵法を出してこれを無視。

なのでアルピニストって言われがちです。

 

泣くポイントの違い。

「正史」は軍律を守る為に愛弟子(馬謖)を処刑することになり、泣く。

三国志演義」では、蔣琬からなんで泣いてるの?と訊かれた諸葛亮は「馬謖のために泣いたのではない」劉備の忠告を聞かなかった自身の不明を嘆き、泣いた。

小説にも感情移入が入ってないか?馬謖批判という。

 

ここで劉備馬謖の事を「大言壮語で大事を任せられない。」と言っている。

三国志 Three Kingdoms 第83話でも劉備が死に際で言ってます。

劉備は人を見る目があった。

でも、南征のとき馬謖は「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」と諸葛亮に助言したため、これが七縦七擒などの作戦に繋がる功績もある。

諸葛亮伝」「王平伝」では馬謖を処刑。

馬謖伝」では「獄に下されて物故す」とある。

「向朗伝」「朗、もとより馬謖と善し。謖、逃亡し、朗、情を知れども挙げず。亮、これを怨み、免官せられて成都に戻る」

向朗とは

幼少時に父を失い、二人の兄に育てられた。若い頃は司馬徽に師事し、徐庶龐統・韓嵩らと親交を結んだ。その後、劉表に仕官して臨沮県長となった。劉表死後は劉備に仕えた。

227年、北伐に際し諸葛亮に従って漢中へ赴いた。向朗は平素より馬謖と親しかったので、街亭の戦いで敗北した馬謖が逃亡するのを黙認した。このため、諸葛亮に恨まれて免職された(馬謖伝には記述がない)。wikiより

根拠はないが「向朗伝」で一番しっくりくる。だが詳細はわかりません。

覚える特殊能力

三国志5 武将 馬謖

初期の状態だと、『魚鱗』『鋒矢』『雁行』を覚えています。

 

【魚鱗の陣】

平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。

しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。

 関連兵器なし

 

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、

防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

【雁行の陣】(がんこうのじん)

平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。

敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。

 関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

三国志5 武将 馬謖

【火計・同討・鼓舞・落石・反計・土砂】

戦闘で経験値を上げました。

敵を撃破する際に相手の陣形によって新たな陣形を覚えます。

『鋒矢』で敵を撃破しまくりました。

そして一騎打ちも積極的でやりました。(経験値稼ぎのために)

その他の陣形の詳しくはこちらをご覧ください。

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 馬謖

三国志5 武将 馬謖

武力【武】67 知力【知】86 魅力【魅】71 政治【政】70

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

『武力【武】67 知力【知】87 魅力【魅】71 政治【政】70』

 

修行のイベントで在野のものから陣形を覚えるイベントがある。

そこで、人生、経験値、能力(パラメーター)が上がる。

大体『陣形』を覚えるイベントでは、知力が+1上がる場合が多い。

修行中でも寿命が存在する。その場合は修行先で寿命で命を落とすという表示は出る。