呉懿(ごい)子遠
呉壱(ご いつ)とも言われる
三国志5のパラメーターを見るに結構強い、バランス型ですね、皇甫嵩のような安定型です。
皇甫嵩とは?と気になった方こちらをご覧下さい。↓↓↓
呉懿(ごい)劉備の配下として北伐に参戦と書いてあるように、かなり強かったそうだ非常に剛毅な人物とも書かれています。
そして博愛の心もあったそうだ。
マザーテレサみたいな感じですかね、そして弱軍を率いて強軍を制すし、危機に陥ることはないとwikiに書いてある通り
『228年、街亭の戦いで諸葛亮が馬謖を用いようとしたが、諸将は実戦経験豊富な呉懿や魏延を推挙・・・』
だが、 街亭の戦いでは諸葛亮に気に入られていた馬謖が抜擢して大軍の指揮を任せ、街亭で張郃に備えさせた。
ここからは言うまでもなくアルピニスト全開で、山に登って飲み水を断たれると言う
人間は水が一番大事だぜっていうサバイバル論、諸葛亮してなかったのかい?
そんな事孔明はわかっておるわw 昔の人間の方が賢いのは承知です。
今まで諸葛亮の元で何を学んでいたのかと辛口コメントになりがちだが、なんかわかんないけど魔が差したんだろうね、山に登りたかったんだよ
それゆえに後世ではアルピニストという異名がつくようになった。
そして大敗してしまったので、街亭で死んだ2万の部下
軍令を破れば兵は従わなり、軍律が保てない、よって馬謖を斬る【泣いて馬謖を斬る】
副将王平の再三の諌めを聞かず、水路を捨てて山上に陣を構えた。
結局起きたことを後から、こうすれば良かったああすれば良かったなどの、タラレバになってしまうのだが、もしも街亭の戦いで諸将が言ったように実戦経験豊富な呉懿や魏延を推挙していれば、コレは勝てたかも知れないですね
と言うか呉懿は魏延と匹敵するぐらい強かったのに正史に彼個人の伝が立てられていない、皇帝の外戚という重要人物でありながら
そしてwikiにこう書いてある。
諸葛亮が出師の表を奏し、北伐を開始すると、呉懿は中参軍としてそれに同道する。
曹真に代わって司馬懿が魏の西方の司令官となると、諸葛亮は防衛計画を展開させる。呉懿は、呉班・馬忠・張嶷らとともに、張郃と戴陵を迎撃し、陽動の任務を成功させている。
張郃は魏軍の大将で古参がやられたとなると蜀軍からしたら大手柄だろう。
さすがに北伐の際に郝昭(カクショウ)の名前が出て来ましたね、実際にゲームの三国志5でも郝昭は結構強いパラメーターで存在します。