おぴお

限界突破で更新します。

戦国時代の馬は小さなロバで馬は移動だけという疑問点

前この記事で書いた内容なのですが、今考えて見ると少し訂正というか

これ違うんじゃないのか?って思うので、そこについて話ていきたいと思う。 

既にこの記事内で、思った訂正というか思った事を新たに継ぎ足しているのですが

このような内容だ。

戦国時代の馬は実際は小さなロバだったみたいな、騎馬軍団というのは移動だけで、実際の戦闘中は今から降りて戦っていたという話も聞いた事がある。

ここだよね、これはないんじゃないのか?って後で思いましたね、誰に言われたでも無く後々自分で昔の戦闘スタイルを考え直してみたところ

戦国時代の馬は実際は小さなロバだったみたいな、騎馬軍団というのは移動だけで、実際の戦闘中は今から降りて戦っていたという話も聞いた事がある、だがこの説に関してはかなりの疑問点が浮かんでくる、そもそも日本の刀というのは平将門が作ったとする話を聞いたことがある、あの反りのある彎刀(わんとう)は馬上で片手使いに適している、目的が馬上で相手を切りやすくする為あの形状になってとか、何かで言っていたような。初期の刀剣は、刺突を目的とした長大な平造りの直刀で、直刀(大刀)→彎刀(太刀・片手で使用)とある。

日本刀と平将門 - 将門ブログ

そしてもう一つの疑問点は上杉謙信の車懸かりである、あれもし、小さなロバで、しかも馬は移動手段だけだとしたら、走ってグルグル回って相手に切り込んで行ったのか?

鎧を着た状態でか?それは流石に疲れるだろう、馬上から切り込むのが現実的なのではないだろうか?

そして次にもう一つの疑問点は平安時代一ノ谷の戦いでの鵯越の逆落としである、馬に乗って崖降りてますやんって話で、仮に嘘だったとしても、奇襲をかけたと済む話だしわざわざ馬を出して話を盛ったとは思えない。だとするとこれは事実となる、馬に乗って崖を降りられる運動性と移動力さえあらば、馬上攻撃というのは可能なのである。

そして、長篠の戦いでも普通に武田軍が馬乗って突っ込んでそれを信長軍が鉄砲で撃ってるんな、こうなると馬は実際は小さなロバ説と移動手段説はありえない話なのではないだろうか?

長篠の戦いについては、結構色々ある

ここにあるように平野ではない事は確かで堀など柵を作っていて、馬の食い止めるものだったと思うが、武田方の方は馬使っていたんじゃないかな〜って思うね、歩兵で突っ込むのならばわざわざ柵作るか?って思うのだが、堀ならまだしも、でも柵もあった方が良いか〜、過去に起こった真実はわからんが、なんか納得がいかないですね

 そしてモンゴルの騎馬民族馬術で手放しの馬に乗ったりしていたもんな、あれだけの運動神経もあるので、普通なら馬で突っ込むけどな〜って思うのである。