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毛利元就雑談・本:【戦国武将最強は誰だ】より

なんか知らない間にイチローが金髪先生みたいになってて新ジャンル開拓してんのかなそんな話はいいか、昨日の話の続きといこう、毛利元就の話だったよな、毛利氏のルーツは源頼朝の側近として鎌倉幕府を動かした大江広元にいくつくそうだ。その広本の四男である毛利秀光を祖とし安芸国吉田郡に土着した。名族と言って良い血筋だが、元就が生まれた頃には、山間の地に生きる土豪となっていた。独立勢力として割拠するにはその力をあまりにも弱いものだったそうだ。安芸国は中国地方の二大勢力である山陰の尼子氏と周防の大内氏がしのぎを削っていた場所であり、毛利氏もその時々に常にどちらかの勢力に従属して生き残ってきた。この頃の毛利氏のような小土豪は情勢を読み間違えると、たちまち滅亡する。そのため常に細心の注意を払っていたのだろう、何事も用心深く短慮に走ってはならない、元就の人格もこういった毛利氏の取り巻く情勢から作られたものだと思われる。そして家督を継いでいた兄の興元とその嫡男が相次いで急死したことで、元就は家督を継ぐものとなっていたが、弟の元綱を推すものもいた。毛利家中は跡目争いで荒れる。元就はここで弟を殺害し、元綱派の家臣を粛正することで骨肉の争いに勝利する、元就は我慢のできる男だが、いざやるとなると徹底してやる、機が熟するまでは決して動かず、慎重に策を練り、二重、三重の罠を仕掛けるそうだ、この周到さがあったので毛利家はでかくなったのだろう、この時代では例え相手が肉親や親族であっても、平気で残忍な決断ができる、この非情さが戦国武将強みでもあったのだろう、謀略と血の粛清をもって家臣団をまとめた後、元就は地方勢力として独立することを画策する、1525年にこれまで臣従していた山陰の尼子氏と袂を分かち周防の大内氏の傘下に入り、安芸や石見の尼子側諸将を倒して領土を拡大、その一方で安芸国内の有力豪族を懐柔、やがて安芸国の国人や豪族を代表する盟主として地位を確立。1541年には尼子晴久が山陰から2万大軍で来襲してきたが、わずか3000の兵で吉田郡山城に立て籠もりこれを撃退する。そして更に元就は勢力拡大のため手をうっていく。山陰の名門で中国地方一帯に勢力をもと吉川家に次男の元春を養子として送り込み、さらに、瀬戸内海に勢力を張る小早川家に三男の隆景を養子として送り込み、両家を乗っ取る、これで毛利家の勢力は飛躍的に向上する、後に吉川元春小早川隆景の二人は毛利家の両川と呼ばれ、中国地方の覇者となった毛利本家を支えていくこととなる。

本:戦国武将最強は誰だより

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この画像は毛利元就 誓いの三矢より