おぴお

限界突破で更新します。

うつけ者装う

うつけ(愚か者、アホ)だの何だのいうが、純粋に感受性豊かだっただけのなのかも知れない、いかに真面目人間ではまずいよって事がわかる歴史的な資料ですね、今でこそADHDだとか多動症だの色々精神病だの病付をするが、それはそれで個性という生き方なのかも知れない、だがその反面病とわかりホットする人も多い事は間違いないので一概にああだこうだは言えないだろう、これはあくまでもパンイチのゲーム好きのワイが勝手に思う御託なのだが、ADHDなどの症状は食事と運動、断食で軽減出来るのではないだろうか?と思っている、脳の松果体などの洗浄を目的とした行動をとれば何とかなるかも知れないが、幼少時に進化過程からなる、脳の欠落と言ったらこれは語弊になるだろう、寧ろ其れは欠落と言えるのか?これは凡人が基準とした考えであって、漫画シグルのように何かを失う事により劇的な進化を遂げるという無限の可能性を秘めているのが人間というものなのであって、何かと優劣の差をつけるのは生命への冒涜でもあるだろう(ここ宮崎イズム)確か昔何かで見聞きしたが、肉体は3年で生まれ変わり骨は6年に変わるという話を聞いた覚えがある、間違っていたらすまんが、多分そんな話を聞いた覚えがあった。これはDNAが再生出来る範囲内での話だが、デトックみたいな感じで色々な悪いものや老廃物みたいなものの蓄積をヨガの力でなんとかなるって感じで、ヨガって言うと最近でダイエット強めの用語だが、結局はダルシムって感じでヨガフレイムって感じの過去の健康法に過ぎない、んで信長のうつけ時代が何より重要で、放浪時代に探索をして情報収集をしているパターンが置いてある、この例としては歴史が証明している、三国志諸葛孔明がまだフリーだった時に成蜀12郡の地図作ってたもんな、文字あってるかなわからんが西蜀じゃないよな?まぁ良いか、それと信長と近い時代では山本勘助がいるだろう、山本勘助三河国宝飯郡(ほいぐん)出身とされるが詳しくはわからんが、若くして諸国を放浪し、兵法を極めたという。そして駿河今川義元に士官を願って37歳から9年間も滞在したが、片目で足が不自由だったことから、今川義元は勘助を家来にしなかったそうだ、今川義元と言ったらお歯黒武将のイメージが強いし麻呂感半端ないよな、麻呂と言ったら公家・烏丸少将文麿を思い出すが、烏丸少将文麿は筋が通っているので一緒にするのは如何なものかと疑問もあるが、そんな事はどうでもいい、今川義元は名武将だったという感じでセンゴク外伝 桶狭間戦記とかであったけども、やはり滅亡の敗因はこういった人を見る目が重要なのだろうと思うところがある、そして勘助はなぜ武田信玄武田晴信)に仕えることになったにか?それは今川氏のスパイとして採用されたという説もあるが、多分今川氏に士官されなかったから甲斐へ向かい武田氏の重臣である、甘利虎泰を頼り士官を願うとある、ここで築城術やら若き頃の放浪で得た諸国の情勢など軍略に詳しい勘助を推挙したのが武田信玄である、勘助はこのとき50歳であった、採用した武田氏も凄い、しかもこの時の武田晴信は若いからね、今川義元のように人を容姿では判断しなかったようだ。もしも勘助を士官していたら桶狭間で死なずに済んだのかも知れないですね、