おぴお

限界突破で更新します。

ムサシロードOPを聴きながら雑談するっていういつものパターンのやつ

もう宮本武蔵の原型すら少し疑わしいが、それ以上にカッコいいのがこのからくり剣豪伝ムサシロードであるのだが、この主人公形成が結構作り込まれてて、薄っぺらくない感じの武骨な中にある揺るぎない正義が覗えるのだが、兎に角潔い感じのカッコよさがあるのである。

んでだ、この武士道を極めんが如く旅を続けるって感じなのだが、1話はつべで見れるので改めて確認するとキャラの心情がリアルな感じがする、正直ガキのころ見ててなんか面白いな〜ぐらいの感じで見てたから、こうして改めてみるとなかなか完成度でありますね、んでだ武士道っていうけど有名な「葉隠」冒頭に「武士道といふは死ぬことと見つけたり」とありますよね、これって勘違いしないで欲しい的な記事が検索すると結構出てくるが、この概念ってのは現代の感覚とは到底違ったものとなっているのだろう、ざっくり言うと、死ぬ気で頑張れ的な感じって言うがもっとこう違った高潔な概念だったのではないだろうか?と考えている、有名なところでいうと楠木正成などが挙げられるのだが、暗君に仕えその生涯をまっとうしたところは正に忠臣は二君に仕えずって感じでこの名残が副業禁止っていう感じの現代企業でもみられるんではないだろうか?だが最近そんなの関係なく副業OKになって美意識自体が変わったいるしね、まぁ実際明君(ホワイト企業)となるはずの企業があったとしよう、そんなの見つけた時点で植民地である呪縛は変わらぬままであるのだから、ここは藤堂高虎の如く主君を変えて生きて行かなくてはならないのだろう、んで話は「武士道といふは死ぬことと見つけたり」の概念に戻って行きたい、死ぬことと見つけたりの本当の概念を生き様でわかり易く知らせているのは楠木正成の他にも有名な真田幸村もそうだろう、大阪の陣での明らかに不利でありながら豊臣方に仕えて名を上げたところは正に「武士道といふは死ぬことと見つけたり」の内容がわかる場面ではないだろうか?いい死に際を選んで死してもなの語りぐさになるということは武士としては生きているに相応しいなんて思うのだが、ざっくり言うのならば、もし戦わず生き永らえても、武士としての名を残らず、ならば良い死に際を見つけたりといった感じではないだろうか?と考えている、そしてこの武士道っていうものは現代に持ち込むのなら古い考えでもあり危険思想と考えられるのだ、大日本帝国における国民道徳の基本と教育の根本理念を明示するために発布された教育勅語へと変わっていったのであろうか、この武士道をたどれば朱子学に行き着くというかベースとなったものだったんだろうと考えられる。