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限界突破で更新します。

植林作業、金原明善とは

花粉症のワイからしたら最近、植林否定までは行かないが、その様な事を仄めかしている事は、読者の皆様ならお気付きかと思いますが、植林というか林業を否定する前にどの様なものなのか?というか観点で何も知らぬままただ良し悪し判断するのはいかがなものか?と思い今回の記事を書いた動機でもありますが、植林とは一体どの様なもので自分の知らぬ間に何かしらの恩恵を受けているやも知れぬので、動画から学べる当時の植林の風景から読み取れることは何か無いのだろうかと思った次第であります。そしてこの動画の中にある金原明善とは一体どの様な人物なのか少しばかり気になりました。動画で観るにどうやら植林業の開祖的スタンスで動画で語られている、この人物が生まれたのが江戸時代後期の1832年天保3年)~1923年(大正12年)で91歳でこの世を去りました。遠江国長上郡安間村(現在の浜松市)の名主の子として生まれました。ボンボンの子と捉えてよろしいでしょうか?ちょっと言葉を慎みなさいとお叱りを受けるので話を進めようと思う、詳しくはこれを見た方が早いので天竜川流域を豊かな農地に金原明善:農林水産省、ワイはざっくり言うと武田信玄好きの財産持ってる人と考えていいでしょうか?ちょくちょく【自分の財産を投げ出し】とか【自分の財産を提供しました。】とかあるので流石、遠江国長上郡安間村(現在の浜松市)の名主として財産を投じてマネーパワーでなんとかしたみたいな感じかな~?流石にこの記事怒られるぞって感じではあるが進めるとしよう、金原明善の経営方針がWikipediaで確認できるのだが「金は値打ちのない場所(町)で儲けて、値打ちのある所(田舎)で遣え」これ以外にも色々あので気になったらWikiで見てくれ、北海道開拓など開拓計画をたてる経営者的な感じなのかな~なんて思ってますね、んでなんかアマゾンで金原明善伝がありましたね~、一番下に貼っておきます、このように林業の歴史について軽く触れてみましたが、実際に林業で働いていた方々は1林の木を50年かけて立派な木にしているところを見ると自分人生を賭けて一本杉などを作っているのだと思うのである、だが花粉症の側の人々(未来での)からするとこうなる事は予想出来ないだろうと思うのと恐らく良かれと思ってやっていた事が後々の世にこの様な形で残っているとは誰も思わなかったろうに…。

人は石垣、人は城。金原明善物語 | オピニオンの「ビューポイント」