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限界突破で更新します。

甘食

改めて、よくよく考えてみたが、甘食っていう素直なお菓子のネーミングは一体何なのだろうか?って疑問すら残るこの【甘食】について少しだけ触れてみました。

まずはwiki甘食の歴史を調べた。

1894年(1895年という記録も)に、東京市芝区田村町にあった清新堂というパン屋が発売した「イカリ印のまき甘食」という製品が元祖と言われるが、詳細は不明である

1955年(昭和30年)頃には菓子の甘食が「絞り甘食」、渦巻き型のロールパンの甘食が「甘食」と称され、それぞれ販売されていた時期があるが、具体的な経緯は不明

wikiより

んじゃ元祖は清新堂のパン屋さんが「イカリ印のまき甘食」お菓子ってことでしょ?

んでどこがイカリ印なのだろう?なんとなく無理ありに考えればなんとかなるかな。

もっと甘食にコミットしていきたいと思う。

マフィンを参考に開発されたという記載があり

甘食は明治時代にヒルサイドパントリー代官山の猪狩清氏が発案したとの記載があり。

甘食パン」には、甘食は日本独特の半生の焼き菓子風のパンで、1894(明治27)年に東京・芝の清新堂の初代が半日がかりだったパン作りの時間を短縮するために苦心を重ねて考案したものとの記載があり。

甘食の項目があり、名前の由来として、「甘いビスケットを大きくしたような食事用のパンから来ているらしい」との記載があり。考案はヒルサイドパントリー代官山の猪狩清氏とのこと。

「旧山手通り、東京都渋谷・目黒区、ゆとりの街に高感度な店――駅の便より選ぶ楽しみ。」がヒット。これによると、ヒルサイドパントリー代官山ヒルサイドテラスのオーナー朝倉家の会社の直営店。ただし清新堂と関係があるかどうかは確認できず。

お菓子の一種である甘食の語源についてわかる本はあるか。いつごろできたかもわかるとなおよい。 | レファレンス協同データベース

 このように記載があった、これらから分かったことはオーナー朝倉家ってあるが、この朝倉家って浅井、朝倉連合の朝倉家ってことでしょうか?これ有名ですよね戦国ネタが入ってくるのだがこれは当然の考えであろう、甘食歴史をたどれば朝倉家にたどり着くとは思わなんだ、正直いままでワイは甘食のことを何の変哲もないないベビーカステラだと思っていた事に申しわけないと思う反面、この事により、信長もきっとカステラが好きだったのだと思います。【かすていら】なるもの、カステラとはペインのカスティリア地方に由来する、初めは病人の薬とされた、そして茶席に出され流行した。丸山町・寄合町の記録『寄合町諸事書上控帳』の中で、長崎の遊女が「しょくらあと」を阿蘭陀人から貰い受けたという記載があようだ。