おぴお

限界突破で更新します。

聖徳太子のチョコエッグみたいなの

あのさ~聖徳太子の地球儀っていうチョコエッグおまけみたいなやつあるじゃん、まぁグリコのおまけでもいいんだけどさぁ~調べてらさ~兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わるソフトボール大の地球儀のこと。wikiよりんでさ~大きさソフトボール大くらいの大きさをあったのか?って思って結構でかいじゃんと思ってしまいましたね、なんか頭の中ではさ~脳みそおがさ~野球してるような感じしか思い浮かばないんだよね、そんな話はどうでもいいとしてだ、西暦606年に 僧侶が集まり修行する清浄な場所建立したこれを斑鳩寺(いかるがでら、はんきゅうじ)とするここ所蔵してある聖徳太子の地球儀なのだがこれはどのような内容があるのだろうか?って感じでいつも通りyoutubeとかで調べて訳よ、んで江戸時代の目録『常什物帳』その中に「地中石」と記されている、そしてそこには1800年代に見つかった南極大陸も存在しているとある、そして幻の大陸であるムー大陸も存在している、地球儀の表面には「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字が書かれていることも判明した。wikiよりんで聖徳太子(574~622)1602年以降に作られた可能性が高いようだ、日本で最初の百科事典『和漢三才図会』(1712年)の編纂者山海輿地全図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するという理由などからである。これらのことから、聖徳太子の地球儀は江戸時代に作製された可能性が高い。wikiより、このようにあるのでこの地球儀には「山海輿地全図」には存在しない大陸がムー大陸に相当する位置に描かれている。ムー大陸の初出は、ジェームズ・チャーチワードの、『失われたムー大陸』(1931年)で、「和漢三才図会」所載「山海輿地全図」より200年ほど後のことである。wikiこうあるら聖徳太子の地球儀は1602年以降に作られて可能性が高いのとムー大陸自体も定かではない、だがムー大陸自体あったとされる海底にはなんらかの遺跡が残っているのだかなり巨大な海底都市なのか?とも疑問にあるが沈んだもと思われる、それにモアイ像もかなり気になる遺跡でもある、それにモアイ像自体はちゃんと体もあると言った話もあるが、何かも番組でモアイ像をてこの原理で移動させてのを思い出す、このようなこともあり、オーパーツクリスタルスカルも考古学者が職人に作らせたなど結構なんちゃっては多い訳で、その例として中国が挙げられるのだが観光地を遺跡なのだいじって新品に改装工事などという話もあるので、全て信じるのはちょっと考えようである。