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保存食【非常食】の歴史

 クッキーってさもうすでに縄文時代に出来ていた食糧の保存加工技術で歴史にたら長いって言うか生き物が生きる上で必要な感覚なのではないのかと思う、リスが種を隠し保存しておくように、モズの早贄もなぜあのような習性をするのか諸説あるが本能に基づいた行動言われているが正直分からん、そして縄文クッキーでwikiで調べると、木の実、シカ・イノシシなどの獣肉、動物の血、卵などに塩と天然の酵母を加えて200~250度で焼成したクッキーないしハンバーグ状の食品を「縄紋クッキー」であるとし、縄文クッキーには植物質主体のものと動物質主体の2種が存在する可能性が想定されたとある、多分縄文時代は長いのでハンバーグ作っていて当然だろうけど、これってさ~『ハンバー-ーーグ』ってやってた可能性だって無きにしも非ずってことでしょ?何言うてますの?ってことで話は戻しますけども、んで縄文時代に主流だった栗(クリ)ってブナ科クリ属の木の一種。とあるがブナの木なんだね、そして胡桃(クルミ)クルミクルミ属とある紀元前7000年前から人類が食用としていたとも言われている。歴史が長い食い物だな、日本ではオニグルミを貢納物されるほど大事な食い物だったようだ脂質が実全体の70%を占めている。とあるのだからエネルギー源には間違いないでしょう、んで塩蔵、糖蔵、乾燥、燻製、発酵これら方法の本当の歴史ってどのようなものなのか?ってのが疑問である、よく平安時代はアユ・イワシなどを鳥類、獣類、食べ主食は米みたいなしかも調理法は蒸す煮る焼く程度とあるが、魚や肉に関しては生食や焼く程度だったとあるが本当のそうだったのか、庶民ろ貴族の違いはあるのだが、庶民は漬物や干物などを食べていたとされるが、もっと保存技術あったような気がするんだよね、なんか忘れたが平安で魚を発酵させたかなんかの料理があったのうな気がするんだが、ソースがない、古代中国では、さまざまな食材を塩漬けにして保存する過程で食材の発酵が経験的に習得され、それらは醤(ひしお)と呼ばれた。魚醤・醤油・味噌・漬物などの原形である醤についての最古の文献は、紀元前11世紀頃の周王朝初期の記録書『周礼』である。日本では縄文時代末期には醤の利用が始まっていたようであるが、本格的に作られるようになったのは中国や朝鮮半島から製法が伝えられた大和朝廷の頃であったwikiより、そして平安時代はサケも塩サケとしてよく食べていたとも書いてある。oshieteTxt

このように非常食って言うカテゴリーに入るのかどうかは置いておこう、そして戦国時代の主流であった『兵糧丸』の話へと移ろう、wikiにも山本勘助著とされている「老談集」に記載されている兵糧丸とある、山本勘助って言えば「啄木鳥戦法」が有名であったが、武田家に伝わる『甲州流秘書』にも兵糧丸のような携帯食が出てくる、寒晒しの米粉、そば粉、梅干の肉、カツオ節、鰻(ウナギ)の白干しを材料にし、それらを酒で練り丸薬にし蒸したあと日干しにすると書かれている。そしてこの『兵糧丸』なのだが陣中の携帯食として兵糧を丸薬状にしたもので、炭素化物の塊で兵法書には1日に2丸、3丸を用いれば空腹にならず、体力も低下せず、乾燥されて硬くなると常温で1ヶ月保存も利くため、長期遠征で役立ったとある、『兵糧丸』は米、白玉粉、小麦粉、そば粉、きな粉、すりごま、などでも作れる、白玉粉、小麦粉、そば粉、きな粉、すりごまを水と酒でこねる、お好みで砂糖を入れてもいいようだ、直径5cm程の団子状に丸め、30分蒸す。そして表面にきな粉をまぶす。【1日天日で干し乾燥させると長期保存が利く】このように携帯食はあるのだが、最も身近なものだと餅である、サトウの切り餅をカバン入れておけばまず大丈夫であろう、『吉田物語』に毛利元就が常に用意していたとある。そして結構有名だあるのが普段は縄として使用も可能な保存食で、普段は荷を縛ったり、腰に巻いたりしての用途もある芋の茎縄(ずいき)で、里芋の茎を縄状にして、味噌で煮込み乾燥させたもので、ちぎってスルメのようにして食べたり、お湯と混ぜ汁物として食べたそうだ。ということで現実的に非常食を完備するなら、2Lの水とサトウの切り餅と乾パンで何とかなるだろう。