おぴお

限界突破で更新します。

リビドーとタナトスとHiromi Go

この話のネタ元はこちらである

www.opio8.com

まず初めにだ、郷ひろみさんは御歳63歳である

郷ひろみ - Wikipedia

郷ひろみは若いよねって思うのは高洲クリニックとの関係か?

そこで何で郷ひろみはそんなに若いの?と言う疑問から郷ひろみ美容法がきっとあるのだと考えるのは必然である、この疑問に付いてズバリ最適で的確なニュースを提供して頂いた方が皆さんご存知の東京キャビンさんである。

www.cyzo.com

ここではじめに、性欲をリビドーとして扱うこととする、そして他でもない学生が最近オナ禁ブログなるものが多く見られるのだがこれというのは、精神的向上を望む既存の価値観からの脱却なのか?と思われる部分が多々見られるのだが、皆さんは如何だろうか?そしてヨガブームでもあるので、そこはチャクラという概念が存在するのでこれに近い感覚なのだろうか?って思うのだがどうだろうか、いやいやナルトなん?ってコミカルな突っ込みはワイの自給自足である。

そしてこの記事で1つ重要な点であるのが2010/06/22 11:00の記事であると言うことである、9年前の記事である、詰まりこれは説得力がある内容となっている、なぜなら今現在の郷ひろみの在り方がどの様なのかが現在で見てとれるからであることは間違いないだろう、新御三家である西城秀樹野口五郎郷ひろみである、野口五郎さんは2018年末に食道がん手術していたと言うニュースは最近の話だが、西城秀樹さんは63歳でお亡くなりになられている、これらの話から郷ひろみさんは独自の健康法的な話を上記のニュースなどで語っている所を見ると健康に気を使っているのだと思わせる節が多々あるその上、上記でも述べた通り高洲クリニックとの関係とかが考えられるのは当然である。そして話はこの日刊サイゾーの記事内話へと移ろう、「水さえ飲んでいれば、食欲だけでなく、性欲も抑えられます」と郷ひろみ自身が発言したのだ、深い内容は日刊サイゾーの記事をご参照下さい。そして、この発言の根底には50代半ばにして体内年齢26歳という驚異的な数値を誇る郷ひろみサイゾーの記事内に書かれている、そのデータのソース本はわからんが、記事にある以上このデータを元に話を進めようと思う、そしてサイゾー記事内では、水は血液をサラサラにし、狭心症脳梗塞の予防にもつながるという。

でもさこれは私の意見ではあるが、砂糖ドロドロの清涼飲料水よりは当然水が良いと言う解釈でいいだろうと思う、そして気になるのは、水と性欲との関係だ。

ここで話が漢方の話へと行く、東洋医学的な話なのか?ここでこのように解説がある「漢方には、『気血水』というものがあり、気(エネルギー)と血(血行)、水(水分、体液)の3つ各々のバランスがとれて健康が成り立っていると考えられています。水分が間違ったところにいくと、むくみにつながり、気が滞ると、うつになると考えられます。いずれもうまく流してあげることが大切ですが、『水』というと、電解質バランスも含まれており、漢方の理論では、ホルモンも多すぎると困ることを『ホルモンのかく乱・混乱』といい、水をうまく流して調節してあげることが必要と考えられるんですよ」つまり、あり余るホルモンを「水で流し、調整してあげる」ことで、「抑えることができる」ということ?「そうですね。あり余ったリビドーを分散させるために水を使うのは良いかもしれません」

そして、結果的には、あの体型を維持してるのは努力の賜物で水もそこに一役買っているとあるのだ、この考えには私が思うに筋トレをし体型を維持しているという事が健康の根底に存在し、そして水という物質は生命には必要不可欠なことは当然で、現代には水以外の色々な不純物が入っている飲料水が多いのだという感覚が正しいだろうか?

こうして今までリビドーを抑えることこそ健康と言うこの考えは自然の摂理を無視した視点であることは間違いないが、このような考えは宗教的なものへと話は進んでしまうのであるが、リビドーの対義語として正確ではないが「タナトス死の欲動)」とするでは、リビドーをコントロールすることがタナトスという言い方で対義語として成立するのか?と言うとこれもまた別物だと思うのは当然なのだが、この記事内の話では生命活動の阻害をし自らの精進と言ったら正しいのか分からんが、そのような行動であるのだから「タナトス死の欲動)」を用いることにする。

だがリビドーと健康を関連付けたが、郷ひろみの事例ではもっと他に意味があるのであって第一に体型の維持という一言に尽きるだろう、これにいたるまでの経緯は、筋トレであったり食事であったり規則正しい生活は皆さんも当然予想の範疇であることは間違いない、そして更にリビドーのコントロールとあるのだから、健康に一役買っているに違いないだろう、このよな話になると即身仏を思いでしてしまうのだが、鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)という人物が有名である、エピソードでは今でも残る庄内の漁村に伝わるタコ漁の道具『テツモンカイ』作ったとしてその名が残っている。何故この話に移るのかと言うと人間の我慢の限界を実態化したものではないのか?なんて考えてしまっているこのプロセスはただ単に悍ましいものと片付けるには、余りに単純な見方ではないだろうか?なんて思ってしまう。

でこの即身仏について軽く触れるがこの技術といったら軽率な発言になってしまい申し訳ないのだが方法は過酷なのもので、そもそもなんでそんなことをするのか?って疑問に思ってしまうのだがこれ技術を持ち込んだのが、彼の空海である

延暦23年(804年)長期留学僧の学問僧として唐に渡るとある、そして唐で得た知識を元に真言宗を確立し高野山を開くそして中国がら持ち帰った技術で即身仏を確立する

続く・・・・・・・