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六合陣法書

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ドラマ三国志スリーキングダムスで諸葛孔明が六合陣法書を見る下りあったよな〜

確か、このシリーズ長かったから忘れちまった、なんか出て来たよな〜程度だからね、確か諸葛孔明が孫劉同盟を果たした後に周瑜の家に遊びに行った時、私の家には書物は置いていないといって、ただ一つだけ置いてあるといって、何だと言うと、それは暦です。って言う下りあるよね、そんで漢の世か分からなくなるとか言っていたな、なんかその場面印象的だったな

 

この前、川中島の話で出てきた車懸かりで向かってくる謙信を迎え撃つ為に信玄が使った鶴翼陣も元を辿れば、諸葛孔明が考案したとされていて、敵を包み込み叩くといった陣形で、敵よりも数が優っていなければならないらしいよ、さっき調べた、んでその鶴翼を破る陣形が魚鱗の陣と言った具合だ、中央突破の攻めの陣形のようだ、魚鱗とどんなん?って分かり易く言うと三角です△で敵に向かって来るかじでしょ、矢印みたいな感じだろ、そもそも中国から伝わった八陣図で8世紀頃には伝来していたそうだ

それを武田信玄に仕えた山本勘助が作り直したって話しもあるけど、武田八陣形って言うのだが、もしかすると甲陽軍鑑よりの考えかも知れないから正しいのかは定かではない…

俺が思うに三国志の時代が一番熟成されていたんだと思うよ、人間の数が違うと思うんだよねまず

それと、三国志と戦国時代(室町〜安土桃山)1200年ぐらいのスパンがあるだろうしかもさ〜、書き記されたものの話しだよな、三国志の時代なんて木簡とか中国なんだから竹簡が支流だ、木簡、竹簡はその名の通り、木と竹で作った書物ねなんか南京玉すだれみたいなヤツね(それちげーだろ)

そんな残ってないんじゃないか?って思ったが結構もつみたいだな木簡とかは

んで、日本の木簡は正倉院の国宝30数点があるが柚井遺跡3点、払田柵跡2点、平城京跡41点など以降続々と各所で見つかったらしいが、1996年平城京東南隅から約1万3千点

1988~1989年長屋王家木簡やその他2011年末までに38万点以上が見つかっている(wiki)

でもさ~時代の長さが違うだろ三国志と戦国時代しかも地理的にも中国と日本だし場所も違うんだから、孔明が作ったものをその後だれが作ったという確固たるものはないんじゃないかと考えている、孔明は八門金鎖を改良し八掛の陣など、後半三国志では色んな陣形があったよな奇門八卦陣とかあったなそんで司馬懿が混元一氣陣とかでバトってやつあったよな、詳しくはこれ見た方が早いかもね

「三国志 スリー・キングダム」 孔明vs仲達 勝者は孔明のようだが・・? BRIAN ENO

そんな感じでまたね~